【昭和の街角】あの写真の場所は今・もういちどサラヤのおむすびが食べたい・・・広島市ミスズガーデン

まだコンビニがなかった頃、国道沿いのオレンジ色の小さなブースでおむすびを売っていたのが「サラヤ」です。

調べてみるとふりかけ「ゆかり」で有名な三島食品の惣菜事業部としてスタートしたのが「サラヤのおむすび」との事。日本全国に店舗展開していましたが、2001年に事業から撤退。もう二度と食べることの出来ない幻の味になりました。やはりコンビニエンスストアの普及に押されていったのでしょう。

平たくて大きめの三角形のおむすびを、海苔ですきまなく包んだ独特の形状。それまでおむすびと言えば母親の握った物しか知らなかった私は、マニュアル化された外食のおむすびの味と、消費主義のにおいに魅了されたものです。

横を走るクレーン車がいかにも昭和40年代後半なこの写真は、三島食品が運営しているスポーツ娯楽施設「ミスズガーデン」の駐車場入り口付近で、写っているオレンジ色のブースが由緒正しい「サラヤミニショップ1号店」だそうです。

【死語?】「東洋一の○○」の称号、ちかごろほとんど耳にしなくなりました。

巨大なダムや大規模な団地の凄さをあらわす特別な称号「東洋一の○○」。最近ほとんど使われなくなったと思いませんか。

私にとっての「東洋一」はなんと言っても若戸大橋です。北九州市にある巨大なつり橋。まだ私が幼稚園児の頃に、大好きな祖父に手を引かれて戸畑から歩いて渡った赤い大きな吊橋です。青い空と海の間に横たわる巨大な赤い建造物は、「ウルトラセブン」の怪獣を連想させてくれました。

そもそもなぜ「東洋一」の称号がよく使われていたのでしょうか。昭和40年代と言えば、まだ終戦から20年しか経っていない頃。欧米列強に完膚なきまでに叩きのめされた日本人にとって、西洋に対するコンプレックスは根強かったことでしょう。終戦からわずかの年月で奇跡的な復興を遂げた日本ですが、まだ「世界一」を名乗るにはあと一歩たりません。しかし「日本ここにあり」と言う矜持のようなものが「東洋一」を名乗らせたのではないでしょうか。

終戦からまだ20年、復員した戦争経験者たちが現役で活躍していたあの頃、さかんに使われた「東洋一」の称号。ひょっとすると敗戦によってついえた「大東亜共栄圏の夢よ再び」といった意味もこめられていたのではないでしょうか。将校として南方前線で終戦を迎えた祖父。幼い私に「東洋一のつり橋」の説明をしながら、とても誇らしげだったのを今でもはっきりとおぼえています。

他にも私の知っている「東洋一」をいくつか見てみます。

高島平団地

東京都板橋区の高島平団地。入居開始は1972年(昭和47年)それまで田畑しかなかった広大な敷地に総戸数10,170戸の巨大な都市が生まれました。あの頃盛んに作られたニュータウンと同じく、現在では住民の高齢化が問題となっています。

 中野ブロードウェイ

東京都中野区、中野駅北口にある複合ビル。低層階はショッピングセンター、中・高層階は集合住宅となっている。地下1階から地上4階までは商業施設、5階以上は住宅施設になっている。実はこの住宅棟は屋上庭園やプールのある高級マンションで、タレントで政治家の青島幸男、歌手の沢田研二、俳優の岸部一徳など数多くの有名人が入居していました。
ちなみに地下にある駐車場は、大型化した現在の車格に合っていないので入れるのが難しいです。

【レトロ家電】ドーム状の超音波美顔器はどこに行ってしまったのですか。

美しくなりたいという女性の願望は、今も昔もかわりありません。昭和の後期、ひっくり返したドーム状の容器に水を入れて、下の機械が振動して超音波を発生させる「超音波美顔器」なる物がありました。あったはずです。そういった機器からもっとも縁遠い男子小学生でしたからディティールまでは覚えていないんですが。

というのも先日ネット上で「メガネの超音波洗浄器、鼻を突っ込んでもOK?」なる記事を読んで、昭和の家電「超音波美顔器」を思い出したのです。
しかしこの記事を読み進むと衝撃的な事実が書かれているではありませんか!

「絶対、おすすめしません」
業界大手のシチズンの担当者は、そう断言します。実は、店頭販売で一度、手を入れてしまった経験があり、その時の記憶が忘れられないそうです。
「指にささくれがあったんです。その傷が超音波で刺激されて、それはそれは、ものすごい激痛が走りました」
「指でもあれだけ痛かったのだから、鼻に傷があったら大変です。絶対、やめてください」
そもそも、超音波洗浄器自体、人体への利用は想定していません。どんな影響があるかわかりません。いくら「角栓が取れそう…」という誘惑にかられても、鼻を突っ込むのはNGです。

あれれ?超音波を人体に当てると痛いの?激痛?

ではあの時代に大いに流行った「超音波美顔器」は大丈夫だったのでしょうか?
もし激痛だとすると、あんなに売れるはずもないし、もしや「超音波」が怪しいとか?

早速気になって「超音波美顔器」を調べてみましたが、またしても衝撃的な事実が!

情報がほとんど無い!画像も無い!

やっとのことで入手できたのがこの「コロナ超音波美顔器」の画像です。何かおかしい、コロナだけではなく他のメーカーからもこのスタイルの超音波美顔器が販売されていたと思うのですが、画像も全く無いのはなぜなんだろう?TVコマーシャルも放送していたと思うのですが(小学生男子だったのであまり自信はないですが)

あくまでも私の推理に過ぎませんが、ひょっとするとこの超音波美顔器、本当は超音波は出ていなかったのではないでしょうか。そしてメーカー各社はこの超音波美顔器を販売していた事実を消し去りたいと。かように思うのですが考えすぎでしょうね。

【ぴあ】はみだしYouとPia で積極的に時間つぶしをしたあの頃。


その昔「ぴあ」という情報誌がありまして、(残念ながら2011年7月に休刊)映画やライブ、演劇などインターネットが無かった時代に若者文化を享受するためには必携の情報源でした。及川正通氏の手による旬の時事ネタをテーマにした表紙が友人との挨拶代わりになることもしばしばでした。

 首都圏版は、1972年7月に、同年の8月号として創刊。創刊号の表紙は高比良芳実による若者のイラスト。月刊(1972年〜1979年)→隔週刊(1979年〜1990年)→週刊(1990年〜2008年)→隔週刊(2008年〜2011年)と変遷した。誌名も『ぴあ』から、週刊化に伴い『Weeklyぴあ』と同時に首都圏の鉄道路線図を掲載し、再び隔週刊化した際に『ススめる!ぴあ』に変わり首都圏の鉄道路線図の掲載を終了した。1975年9月号から休刊まで、表紙イラストを及川正通が担当し続けた。各地域版『ぴあ』の中では最後まで刊行されていたが、2011年7月21日発売号を以て休刊。Wikipediaより


雑誌の編集方針でしょうか、あくまでも客観的なデータを提供することに徹していたようですが、そんななかで紙面の左右の余白を利用して読者の短い投稿を掲載していたのが「はみだしYouとPia」通称「はみだしぴあ」「はみだし」でした。

当時隔週で発行されていたぴあですから、データの新しさという意味では雑誌本体は2週間で不用品になるわけです。しかし「はみだし」は読者による創作物ですから賞味期限が長い。友達の家や喫茶店で「ぴあ」のバックナンバーを見つけると、膨大な量の「はみだし」を読みふけって時間のすきまを埋めたものでした。

読者の声を短文で刊行するこの「はみだしYouとPia」、今のTwitterのようなものでしょうか。ただ、Twitterと大きく異なるのはそのクオリティの高さです。あの頃はスマートフォンはおろか、インターネットすらまだ無い時代。「はみだし」で自分の声を発信するためには、ハガキを書いて投稿する必要がありました。ハガキ代と書いて投函する労力を考えると無駄弾を撃つわけにはいかず、当然ですが書く前に推敲を重ねた渾身の作品を送るわけです。Twitterのビッグデータが玉石混交とすると、「はみだしYouとPia」はまさに珠玉。誰でも簡単につぶやくことができる便利な世の中になりましたが、失ってしまった物も大きいようです。

あの頃の「はみだし」をいくつか見てみましょう。内容と日付があの頃の空気をよみがえらせてきて、すこし泣けてきます。

 

花王に入ったOBの新入社員の研修旅行での話。風呂場では抜きうち調査があるといううわさがたち、花王以外のせっけんを持ってきた人は必死に名前を削り取った…らしい。<メーカーはつらい! 元気が有って宜しいっ!は堀家ゼミ>1987.9

“Spring has come”を“バネ持ってこい”と訳し、クラス全員の息の根を止めたあいつももう23。ネクタイが似合うようになりました。<桃山太郎>1987.7

ただでさえ人数が多いうちのゼミで、ふたりも150枚以上の卒論を出してしまったので、先生はかなしそうに「アインシュタインの“相対性理論”はたった6ページだったんだよ」と言った。<悪気はないんですよ。うさぎ屋宗達>1988.2

辻堂駅前を通った霊柩車を見てそばにいた中学生がポツリと「まるで走る金閣寺だ…」と言った。<茅ヶ崎のU2-3>1984.1

うちのおばーちゃんは「キャビン・マイルド・ロング(下さい)」と言われて、普通のキャビンとマイルドセブンを出したあと、お客さんに指摘されるまで“ロング”を考えていた。<H組の幸之助>1984.10

まず、たばこの葉を半分くらいほじくります。かわりにインスタントラーメンについている、七味をつめます。そして火をつけて吸ってみよう!たばこをやめたい人におすすめします。<葛飾区 鈴木樹里>1977.12

父は月の輪熊の月の輪は眉間にあると思っていたそうです。(はっきり言って時代劇の見すぎです)<byクロス・エンジェル>1989.4

マクドナルドのCMでは「オマタセしません!!」と豪語しているが、その実、CMの中の女の子は「オマタセしました」と言っている。<バゴーン>1986.9

カレーと御飯が別々に盛られてくるカレーライスを食べるときの心境は、スタミナ配分を考えながら走るマラソン選手のそれと同じだと思う。<どこでスパートをかけるかが難しい。W大のJ>1987.5

ガキの頃、いつも「花いちもんめ」でいつも最後の一人になり、英雄的気分を味わっていた僕だが、当時一番嫌われていたという真相がわかった今、それは暗い過去と化した。<熊高こなきじじい>1982.3

埼玉県の片田舎幸手町(さってまち)にサッテリアが、松戸市にマッドナルドがあるという事実、知ってますか?<有名希望の春女落研のまりも>1981.3

ディープス・ロートは某製薬会社の目薬です。<中野区白鷺3-27-505 20歳 大3 木原毅>1975.10

コカコーラのコマーシャルで、登山家、医師、そして主婦の今井通子さんが「主婦としてはコークを選びます」と言わなければならないのは、医師としてはコークを選べないからではないでしょうか。<M>1982.5

“売ります/室内日焼け灯とサーフボード(ボードは新品同様)”──書いた人の顔が見ゆるごと見事な広告でんな。<佐理右衛門>1985.9

先日山手線の国鉄のポスターを見て息を呑んだ。“信州で性生活を体験してみないか”な、なんと露骨な!しかし、電車が揺れて吊り革に隠れていた“性”の前の“野”が見えた時私は安堵と無念でついため息が出てしまった。<新宿のV.S.O.P>1980.7

去年、海水浴で外房へいったら、「外房は危ないから行くな!」といっていた担任が麦わら帽子をかぶってアイスクリームを売っていました。<中村さん、横地さん元気ですか?荻原です>1984.5

 

【リーダイ】「おめでとうございます、当選しました」突然リーダーズ・ダイジェストから手紙(DM)が届きました。


あれはまだ私がこの世に生を受けてわずかに10年が経過しただけのある日のことです。私あてに届く郵便物と言えば、級友とやり取りをはじめたばかりの年賀状以外は、祖父母から届く時候の挨拶だけだったあの頃、唐突に私の名前が書かれた封書が届いたのです。

初めての経験に興奮しながら封を開けると、白い紙に印刷された手紙と、金色の型押しで彩られたなにやら高級感のあるカード、茶色の革表紙の書籍を紹介したカラーの印刷物が入っていました。

まるでシンデレラが受け取った舞踏会の招待状のように、初めて手にする企業からの手紙を恭しく読んでみると、どうやらとんでもない物に当選している模様。それまでくじに当たる経験なども無かった私は有頂天になって母親を呼び、とにかくすぐにこれを申し込んで欲しいと懇願しました。

数多の日本人の中から、山口県の田舎町に住む10歳の少年が選ばれることは、まさに奇跡的な幸運だと感じたものです。そしてこのラッキーボーイが手に入れたのは、茶色い革表紙(革風の紙ですが)の百科事典。正しくは、雑誌リーダーズ・ダイジェストを一年間購読することと引き換えに、一冊の茶色い本を無料で手に入れる資格でした。母親は当然この意味を理解しており、無駄遣いを嫌い節約を旨とする彼女がなぜ許してくれたのか。恐らく成績のあまり良くない息子が少しでも読書に興味を持ってくれるのならそれでも良いか、とでも思ったのでしょう。

さて、一月ほど経ったのでしょうか、あの幸運な出来事をすっかり忘れていた私の元に茶色い本と一冊目のリーダーズ・ダイジェストが届きました。インビテーションを受け取ったあの日とは比べ物になりませんが、それでも多少は高揚感に包まれながら届いた荷物を開梱し、二冊の書籍を取り出してパラパラと中身を検分してみました。

「だめだ、さっぱりわからない」

大人向けに作られているため読めない漢字も多く、何よりも10歳の小僧が興味を持てるような記事がなかったのです。マンガはおろか、写真や挿絵も最小限にとどめてあり、高速でページを繰る手が止まるのは、途中の広告だけというありさまでした。

それから毎月届けられるリーダーズ・ダイジェスト、初めのうちはそれでも中をパラパラと見ていましたが、やがて表紙を開きもせずに本棚に並べるようになりました。勉強机の正面にズラッと並べられたリーダーズ・ダイジェスト。その背表紙を見ると重苦しい後ろめたさに包まれてしまい、できるだけ意識の外に置くようにしたものでした。 

そんなほろ苦い記憶もすっかり癒えて中学生になったある日、放課後集まった悪友の家で彼の兄さんが隠し持っていたアメリカ版のプレイボーイ誌を手に取った時、その紙の薄さや印刷の荒さに、忘れていたはずのリーダーズ・ダイジェストの記憶が呼び起こされたことは内緒です。

リーダーズダイジェスト日本版は1946年6月に創刊された。誌名は『リーダーズ ダイジェスト』だが、「リーダイ」の略称で親しまれた。当初はほとんど全体がアメリカ版の翻訳だったが、1970年代中頃から日本語版オリジナルの記事が3割ほどになっていた。通信販売の広告が非常に多い雑誌でもあった。1986年に休刊となった。Wikipediaより

【Apple】リンゴをかじると歯茎から血が出ませんか?リンゴ丸かじりが似合いそうな10人


「リンゴをかじると歯茎から血が出ませんか?」デンターライオンハミガキのCMで一世を風靡のこのフレーズ、我々世代は「リンゴ丸かじり」と聞くと条件反射で「歯茎から血が」と思い浮かべるほどおなじみになっています。

セーターでキュキュッと拭いておもむろにかぶりつく、ちょっとワイルドなリンゴの食べ方ですが、今はあまりみかけませんよね。ひょっとすると近ごろの若い人たちは、リンゴの丸かじりをしたことがない人も多いのではないでしょうか。

そんなわけで、今や風前の灯となった昭和の食文化「リンゴの丸かじり」が似合いそうな10人を、独断と偏見で選んでみました。


1.ジュリアーノ・ジェンマ Giuliano Gemma

甘いマスクのマカロニ・ウェスタンのトップスター。スズキのスクーター「ジェンマ」のネーミングの由来でもあります。とても残念なことに2013年10月1日、交通事故でこの世を去りました。


2.ジャンポール・ベルモンド Jean-Paul Belmondo

1933年生まれのフランス俳優。ジャン=リュック・ゴダール監督の『勝手にしやがれ』でスターダムに。


3.草刈正男

NHKの大河ドラマ「真田丸」の真田昌幸役で見事に再ブレーク。若い頃の草刈正男はまさに無双。「こんなとき、なんだけど」と言いながら丸かじりしてほしい。


4.アラン・ドロン Alain Delon

外国の美男子はアラン・ドロンが、日本の美男子は沢田研二が一身に担っていた時代がありました。特に日本での人気は異常でした。


5.ポール・ニューマン Paul Newman

アメリカを代表する男優。ケチャップやドレッシングで有名な食品メーカー、ニューマンズオウンで大成功した実業家でもあります。


6.ロバート・レッドフォード Robert Redford

ポール・ニューマンと共演した明日に向って撃て!でブレークしたアメリカの俳優。ブラッド・ピットが彼に似ていると話題になりました。


7.ペーター Peter

ハイジの友達のヤギ飼いの少年。ハイジよりも6つ年上だそうです。続編「それからのハイジ」で大人になった2人は結婚するそうですよ。


8.ダスティン・ホフマン Dustin Hoffman

アメリカを代表する演技派俳優。163cmとかなり小柄です。


9.コブラ

コブラのモデルはフランス俳優のジャンポール・ベルモンド。飄々とした雰囲気や丸みのある鼻が良く似ています。


10.シルベスター・スタローン

アメリカを代表するアクションスター。70歳を越えた今も現役。3人の娘が美人ぞろいと評判です。

いかがでしたが。爽やかでちょっぴりワイルド、そんな男性ばかりです。他にもリンゴ丸かじりが似合いそうな人がいたら是非教えてください。

【大草原の小さな家】いつかはチャールズ・インガルスになりたいと思っていました。

NHKで土曜日の夕方「大草原の小さな家」が放送されたのは1975年から1982年のことでした。強くて優しい父さん、綺麗で気丈な母さん、聡明で美人のメアリー、おてんばなローラ、可愛らしいキャリー。古きよきアメリカ、理想の家族像。今でも私がアメリカのことをどこか憎めずにいるのは子供の頃にこのドラマが大好きだったからかもしれません。

そんな大草原の小さな家ですが、中でも私が一番好きだったのは父さんことチャールズ・インガルスでした。太い腕と厚い胸板、日焼けした肌に笑うとこぼれる白い歯。強くて優しくて、明るくて前向きで、正義感が強くて何よりも妻と子供たちを愛している。当時まだ小学生だった私は、大人になったらきっとチャールズ・インガルスのようになって暖かい家庭を持つのだと思ったものです。

マイケル・ランドン Michael Landon
本名ユージン・モーリス・オロウィッツ Eugene Maurice Orowitz
生年月日1936年10月31日
没年月日1991年7月1日(満54歳没)
出生地ニューヨーク州ニューヨーク市クイーンズ区

あれから40年、劇中の父さんの年齢をすでに超えてしまいましたが、結局チャールズのようになることは出来ませんでした。登場人物の中ではエドワーズおじさんが一番近いかもしれません。

このオープニングを見るとあの頃の気分がよみがえって、不覚にも泣けてきました。

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【バブル】メンソールのタバコが流行りました。ED(インポ)になるとの噂も。

「メンソールの長い煙草をためいきで吸いながら~♪」とんねるずの「歌謡曲」で歌われたほど、80年代半ば若者を中心にメンソールタバコが流行していました。あの頃は喫煙人口も今とは比べ物にならない程多く、飲食店はもちろん、駅や列車内、飛行機にも灰皿が設置されていて、普通にタバコを吸っていた時代です。

当初メンソールのタバコはサーファーの間で流行っていましたが、ファッションとしてのサーファールックの広がりと共に、サーファー以外の若者の間でも吸われるようになったんだと思います。

私もあの当時マルイのカードで分割払いしたDCブランドのスーツで身を固め、六本木のディスコに出入りするようになり、洋モクのメンソールタバコを吸っていました。入手しづらい銘柄を吸っている時は、夜遊びに出かける前に予備を1箱用意するのがたしなみだった時代。あの頃日本で手に入ったメンソールタバコを見てみましょう。


セーラムライトSalem Light

定番中の定番。一番手に入りやすい洋モクのメンソールタバコでした。ソフトパックとボックス、長さは85㎜とロング100㎜がありました。当時の価格はレギュラーサイズが280円でした。入手難易度:5

 


セーラム Salem

緑色のパッケージが鮮やかなレギュラーのセーラム。セーラムライトよりも入手が困難でした。長さや価格はライトと同じです。入手難易度:3


カールトン Carlton

低タール低ニコチンでタバコとしては薄味で、その分メンソールが強烈でお菓子のようなタバコでした。自販機でも入手可能。ロングサイズのみで280円でした。入手難易度:4


クール KOOL

吸っている人は周囲にいませんでしたが、六本木のディスコでクール・アンド・ザ・ギャングのメンバーに遭遇した時、ウェイターに頼んだタバコがこの「KOOL」でした。うそのような本当の話。入手難易度:3


モア MORE

洋モクが充実したお店には置いてあったのですが吸ったことはありません。葉巻のような茶色の巻紙で120㎜の超ロングサイズ。グレース・ジョーンズなら似合いそうです。入手難易度:1

 
サムタイム・サムタイムライト SomeTime・SomeTimeLight

国産のメンソールタバコ。サムタイムはニコチンがきつく当時は「ゲロの味がする」と言われていました。サムタイムライトは出先でセーラムライトを切らした時の緊急避難としてごくたまに登板しました。入手難易度:5

マルボロメンソール Marlboro Menthole

緑色のマルボロ、当時は国内では手に入りませんでした。海外旅行のお土産リクエストナンバーワンです。カートンで買ってきてもらったマルボロメンソールを1箱ずつ配ったものです。入手難易度:0

 

メンソールタバコはED(インポ)の原因になる?

SNSはおろか、インターネットすら無かったあの頃、なぜかみんな知っていた噂です。実際はメンソールタバコが良くないのではなく、タバコそのものが血管の収縮をさせるため男性機能に悪影響があるそうです。メンソールタバコは吸いやすいので普通の煙草よりも深く肺に入れ、さらに本数も増える為このような都市伝説が生まれた説が有力です。
私はタバコを止めて15年経ちますが、喫煙した頃よりもいろいろな意味で元気です。

【アンチヒーロー】コンドルのジョーという生き方が後の世の中に与えた影響

タツノコプロの名作SFアニメ「科学忍者隊ガッチャマン」子供の頃に夢中になった方も多いと思います。

・1972年~74年に放送された第一作目の「科学忍者隊ガッチャマン」

・1978年~79年まで放送された「科学忍者隊ガッチャマンII」

・1979年~80年にかけて放送された「科学忍者隊ガッチャマンF」

3作放送されたガッチャマンシリーズの中で最高視聴率を記録した回をご存知でしょうか。それが1978年10月22日(日)、27.1%を記録した「かえって来たジョー!?」の回なのです。
ファーストシリーズの最後に自らの命をなげうって地球の危機を救ったコンドルのジョーが、パート2でサイボーグになって帰ってくるというストーリーを、日本中の男の子たち(うちの姉も興奮してました)が固唾を呑んで見守った伝説的な回です。

【アンチヒーローの登場】
今でこそマンガやアニメ、映画でもアンチヒーロー、ダークヒーロー全盛ですが、我々世代がはじめて意識したアンチヒーローはコンドルのジョーです。それまで見ていたテレビ番組では主人公は勧善懲悪、明るく健全なヒーローとして描かれていました。そのころはまだウルトラマンシリーズも仮面ライダーシリーズもアンチヒーローは登場しません。

アンチヒーローを理解するには文化的、精神的成熟が必要です。ちょうど戦後の日本が貧しさから脱して経済的に余裕が出てきた時代と重なり、それまでの「朗らかで正義感の強い熱血漢」といった正統派のヒーロー像に飽き足らなくなったのでしょう。我々も10歳前後に成長し、それまで経験したことのない「クール」や「ニヒル」といった概念に触れて大いにしびれることとなりました。

【ハカイダー】
時を同じくして、もう一方の雄としてコンドルのジョーと双璧をなしたアンチヒーローがいました。それが「人造人間キカイダー」に37話目から登場する悪役「ハカイダー」です。

カワサキのバイク、マッハIV 750ccを改造した「白いカラス号」を駆るハカイダー。手にする武器は銀色に輝く長い銃身のリボルバー。人間態のサブローは全身黒尽くめのライダースーツに身を包み、ブーツには刀身の長いナイフを帯びていました。ハカイダーもまた「クール」でさらにとても「スマート」でした。その颯爽としたたたずまいは主人公のキカイダーやキカイダー01を一気に垢抜けない存在に変えてしまうに充分な説得力でした。

【アンチヒーローの条件】
「クール」で「ニヒル」で「スマート」そして当然ですが主人公と同等、時には上回るほどの能力を持ち合わせた存在、それが「アンチヒーロー」なのです。
さらに付け加えるとすれば「不幸な境遇」でしょうか。
兄の源頼朝に憎まれて不遇な最後を遂げた「九郎判官」源義経。日本には古くから「判官びいき」という「恵まれない者」「不幸な者」に同情しまた応援する独特な風土があります。
「クール」で「ニヒル」で「スマート」で「強く」さらに「不幸な境遇」の人物こそが「アンチヒーロー」にふさわしいのです。
巨人の星の花形満は「クール」で「ニヒル」で「スマート」で「強い」のですが彼が「アンチヒーロー」たりえないのはこの「不幸な境遇」の条件を満たしていないからだと思います。なんせ彼は「花形モータース」の御曹司、小学生の頃からスポーツカーを乗り回す超おぼっちゃんでしたから。

【もっとも成功したアンチヒーロー】
1979年、ついにその集大成とも言える怪物「赤い彗星シャア・アズナブル」が誕生することになります。「クール」で「ニヒル」で「スマート」なのはもちろん、圧倒的な強さで主人公アムロ・レイに立ちはだかる「シャア・アズナブル」は自分の親を殺したザビ家の下、出自を隠して戦うという「不幸な境遇」にあります。
1979年のアニメ「機動戦士ガンダム」で登場して以来現在にいたるまで、複数のガンダムシリーズに登場し、小説や漫画、シャア本人を主人公にした映画まで作られています。また、広告や企業とのコラボでの起用も多くその存在は社会現象と言っても良いでしょう。「赤は3倍速い」というのはガンダムを見たことの無い人でも知っている半ば常識となっています。

【アンチヒーローの現在】
シャアでひとまずの完成を見た「アンチヒーロー」像ですが、1995年に放送された「新世紀エヴァンゲリオン」では又違った展開が見られます。
なんと登場人物、ロボットがすべて「アンチヒーロー」的な要素を持っているではないですか。

この「アンチヒーロー」のインフレは昨年のアメリカ映画「スーサイド・スクワッド」でも見られ、今後この傾向は続くものと思われます。

世の人々が健全で正義感の強いヒーローではなく、アンチヒーローを求めていることに間違いはありませんが、今回アメリカ合衆国大統領に選ばれたドナルド・トランプ氏。彼は「アンチヒーロー」でしょうか、はたまた「ダークヒーロー」でしょうか。

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【マック】昭和のマクドナルドは今よりも美味しかった。

私がはじめてハンバーガーを食べたのは忘れもしない1978年8月、銀座の歩行者天国。私が12歳の時でした。山口県の小都市で生まれ育った私は、その年の夏父の転勤で東京に引っ越してきました。

生まれ故郷の街にはもちろん、デパートのある隣町にもハンバーガーショップなどと言った洒落たものは存在せず、私はハンバーガーと言う食べ物をまだ知りませんでした。ただ、アニメのポパイに出てくる太っちょのウィンピーが「火曜日にかえすから、ハンバーガーおごってくれよ」と美味そうに食べている物体が私の知っているハンバーグとはちょっと違うことには気づいていました。なんといってもウィンピーは手づかみで食べるのです。我が家で出されるハンバーグを直接手に持つのは難しいなと。


そんな私が12歳で東京に来て満を持して食べたのが、マクドナルドのハンバーガーだったわけです。一番安いプレーンなハンバーガーでしたが、今まで経験したことのないモダンな味に衝撃をうけたのでした。

あの当時のメニューを見てみると、価格設定が今よりもかなり高いことにおどろきます。しかもあのころの物価でこの価格です。私はまだ子供でしたから食べるのはきまってプレーンなハンバーガー。大人になったらビッグマックやクォーターパウンダーに挑戦してみたいと思っていました。「いつかはクラウン」みたいな感じでしょうか。このCMもターゲットは大人で高級感が感じられます。

高校生になった頃もまだマクドナルドのイメージは高いままで、デートでも利用できるおしゃれなお店でした。

今でもごくたまにマクドナルドを利用することがありますが、その度にがっかりしてしまいます。

・私が歳をとったので味覚が変わった。
・子供の頃の思い出は美化される。

といった点を考慮しても、明らかに味が変わった(落ちた)と感じます。80年代後半の安売り合戦でサンキューセットを出したあたりから、積極的にコストダウンを行っていった結果でしょうか。今ではもうマクドナルドにワクワクことはありません。

私が歳をとったからハンバーガーが駄目になったわけではありません。今でもバーガーキングのハンバーガーは美味しいと感じます。バーガーキングのパティには12歳ではじめて食べたハンバーガーの味を感じることが出来るのです。

追記:この頃マクドナルドで働いていた方のブログによりますと、当時は今とは比べ物にならないほど一つ一つ丁寧に作られていたことがわかります。例えるならば「レストラン」のクオリティでしょうか。これを読むともう一度あの頃のマクドナルドのハンバーガーを食べてみたい気持ちがいっそう強くなりました。

その頃のマクドナルドは、ビッグマックソース、タルタルソースは店舗ごとに半分手作りで、シンクと呼ばれるバックヤードでピクルスをみじん切りにしてたりした。
レタスは金気があると時間がたつと色が悪くなるので、ビックマック用のレタスはシンクでマメに短冊に切っていた。
ミートは片面づつ1分焼いてひっくりかえし(ターンレイ)、焼き上がるのに2分ほどかかっていた。
作って10分で売れないと廃棄処分にしていた。
今夜もほろ酔い ときどき音楽

 

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