その昔「ぴあ」という情報誌がありまして、(残念ながら2011年7月に休刊)映画やライブ、演劇などインターネットが無かった時代に若者文化を享受するためには必携の情報源でした。及川正通氏の手による旬の時事ネタをテーマにした表紙が友人との挨拶代わりになることもしばしばでした。
首都圏版は、1972年7月に、同年の8月号として創刊。創刊号の表紙は高比良芳実による若者のイラスト。月刊(1972年〜1979年)→隔週刊(1979年〜1990年)→週刊(1990年〜2008年)→隔週刊(2008年〜2011年)と変遷した。誌名も『ぴあ』から、週刊化に伴い『Weeklyぴあ』と同時に首都圏の鉄道路線図を掲載し、再び隔週刊化した際に『ススめる!ぴあ』に変わり首都圏の鉄道路線図の掲載を終了した。1975年9月号から休刊まで、表紙イラストを及川正通が担当し続けた。各地域版『ぴあ』の中では最後まで刊行されていたが、2011年7月21日発売号を以て休刊。Wikipediaより
雑誌の編集方針でしょうか、あくまでも客観的なデータを提供することに徹していたようですが、そんななかで紙面の左右の余白を利用して読者の短い投稿を掲載していたのが「はみだしYouとPia」通称「はみだしぴあ」「はみだし」でした。
当時隔週で発行されていたぴあですから、データの新しさという意味では雑誌本体は2週間で不用品になるわけです。しかし「はみだし」は読者による創作物ですから賞味期限が長い。友達の家や喫茶店で「ぴあ」のバックナンバーを見つけると、膨大な量の「はみだし」を読みふけって時間のすきまを埋めたものでした。
読者の声を短文で刊行するこの「はみだしYouとPia」、今のTwitterのようなものでしょうか。ただ、Twitterと大きく異なるのはそのクオリティの高さです。あの頃はスマートフォンはおろか、インターネットすらまだ無い時代。「はみだし」で自分の声を発信するためには、ハガキを書いて投稿する必要がありました。ハガキ代と書いて投函する労力を考えると無駄弾を撃つわけにはいかず、当然ですが書く前に推敲を重ねた渾身の作品を送るわけです。Twitterのビッグデータが玉石混交とすると、「はみだしYouとPia」はまさに珠玉。誰でも簡単につぶやくことができる便利な世の中になりましたが、失ってしまった物も大きいようです。
あの頃の「はみだし」をいくつか見てみましょう。内容と日付があの頃の空気をよみがえらせてきて、すこし泣けてきます。
花王に入ったOBの新入社員の研修旅行での話。風呂場では抜きうち調査があるといううわさがたち、花王以外のせっけんを持ってきた人は必死に名前を削り取った…らしい。<メーカーはつらい! 元気が有って宜しいっ!は堀家ゼミ>1987.9
“Spring has come”を“バネ持ってこい”と訳し、クラス全員の息の根を止めたあいつももう23。ネクタイが似合うようになりました。<桃山太郎>1987.7
ただでさえ人数が多いうちのゼミで、ふたりも150枚以上の卒論を出してしまったので、先生はかなしそうに「アインシュタインの“相対性理論”はたった6ページだったんだよ」と言った。<悪気はないんですよ。うさぎ屋宗達>1988.2
辻堂駅前を通った霊柩車を見てそばにいた中学生がポツリと「まるで走る金閣寺だ…」と言った。<茅ヶ崎のU2-3>1984.1
うちのおばーちゃんは「キャビン・マイルド・ロング(下さい)」と言われて、普通のキャビンとマイルドセブンを出したあと、お客さんに指摘されるまで“ロング”を考えていた。<H組の幸之助>1984.10
まず、たばこの葉を半分くらいほじくります。かわりにインスタントラーメンについている、七味をつめます。そして火をつけて吸ってみよう!たばこをやめたい人におすすめします。<葛飾区 鈴木樹里>1977.12
父は月の輪熊の月の輪は眉間にあると思っていたそうです。(はっきり言って時代劇の見すぎです)<byクロス・エンジェル>1989.4
マクドナルドのCMでは「オマタセしません!!」と豪語しているが、その実、CMの中の女の子は「オマタセしました」と言っている。<バゴーン>1986.9
カレーと御飯が別々に盛られてくるカレーライスを食べるときの心境は、スタミナ配分を考えながら走るマラソン選手のそれと同じだと思う。<どこでスパートをかけるかが難しい。W大のJ>1987.5
ガキの頃、いつも「花いちもんめ」でいつも最後の一人になり、英雄的気分を味わっていた僕だが、当時一番嫌われていたという真相がわかった今、それは暗い過去と化した。<熊高こなきじじい>1982.3
埼玉県の片田舎幸手町(さってまち)にサッテリアが、松戸市にマッドナルドがあるという事実、知ってますか?<有名希望の春女落研のまりも>1981.3
ディープス・ロートは某製薬会社の目薬です。<中野区白鷺3-27-505 20歳 大3 木原毅>1975.10
コカコーラのコマーシャルで、登山家、医師、そして主婦の今井通子さんが「主婦としてはコークを選びます」と言わなければならないのは、医師としてはコークを選べないからではないでしょうか。<M>1982.5
“売ります/室内日焼け灯とサーフボード(ボードは新品同様)”──書いた人の顔が見ゆるごと見事な広告でんな。<佐理右衛門>1985.9
先日山手線の国鉄のポスターを見て息を呑んだ。“信州で性生活を体験してみないか”な、なんと露骨な!しかし、電車が揺れて吊り革に隠れていた“性”の前の“野”が見えた時私は安堵と無念でついため息が出てしまった。<新宿のV.S.O.P>1980.7
去年、海水浴で外房へいったら、「外房は危ないから行くな!」といっていた担任が麦わら帽子をかぶってアイスクリームを売っていました。<中村さん、横地さん元気ですか?荻原です>1984.5